責任を手放す
久しぶりに一日で本を読み切りました。
読んでる最中からワクワクして、
明日からこうしようかな、ああしようかなと思いあぐねて読み切りました。
買ってから半月?1か月?ほど。
読みたかったのに、先に読んでいる本があるからと、
積ん読状態になってた本。
でも、実はその読む順番にとらわれているのは自分でした。
とある人に先日、
『ルールに則ってとか白黒はっきりしないと
嫌なところはえっちゃんのもったいないところでもあるよね』
と言うようなことを言われ、
(それがダメだから直せという指摘ではなく)
あ、久しぶりに言われたな。
と思った。
昔からグレーが気持ち悪くて、
で?結局どうなの?
と聞いてしまう私。
学生の頃はそれで恋愛を失敗したこともあり、
イタイところでした。
だけど、ISDを知って(ISDについてはコチラ↓)
私のようなタイプもいることはいるんだと気づいたこと
(夫も同じタイプだった)
そんな白黒をはっきりさせることを嫌悪するタイプももちろんながらいるんだ
ということが知れたので、
そうかそうかと思っていたのだけど。。。
気づかぬうちにまたその『押し付け』が出ていたのかな?
と反省したり、しなかったり。。。。
そんな感じの時に何か感じて手に取ったこの本だったので、
本当はすぐ読めばよかったね。
でも、『今』読んだことにはやっぱり意味があったのかもね。
少しだけど、自分の『したいこと』とそうでないことの整理ができたり、
一番最近感じてたこと、
『子育てがちゃんとしたい!』と強く想うのに『一人になりたい』と
思ってしまって罪悪感を抱えてること
を許せる答えが見つかったこと。
これは大きいな。
『子育て』という言葉に違和感を感じると教えてくれたこの本に、
最初は戸惑ったけど、
私がしたいのも『子育て』ではないのかもしれない。
子どもと共に生きる
お互いの姿に
ハッと気づかされたり
見習ったり
立ち止まったり
一緒に笑ったり
一緒に泣いたり
一緒に怒ったりしながら
共に歩いていく
それが私がしたいこと。
他の子とならできるのかもしれない。
親という責任の伴わない子どもとなら。
でも、親ではないからよその子どもの未来に責任を持たなくていいのか?
どうとでもいいのか?
と聞かれたらそうは思ってない私がいる。
じゃあ、
我が子の自由な発想に『今』小さな問題を起こしている
私の親としての責任感なんて取っ払ってしまえばいい。
そう感じることができた。
また、時間をおいて読み返したいな。
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